住宅素材について考えること

築140年超えの『古民家をさしあげます!』と告知して以来いくつかの問い合わせをいただいている。問い合わせをいただいた方をご案内し、あらためてまたその存在を目にする機会があった。一部の生活空間は40年ほど前にリフォームされて新建材の部分もあるが、小屋裏にあがると明治初期に江戸時代に生まれた大工による苦労の跡がうかがえる。最近はかかわった職人の痕跡を残すことが難しいすまいづくり。職人気質であろうがなかろうが、誰が関わってもだいたい同じように出来るよう新建材が整っている。この狂わないメンテナンスフリーをうたう新建材が職人をダメにしているのだろうと思わざるを得ない。そして、そんな新建材でできた誰が関わったかもわからない空間の中に住む人もその空間にこだわりを持つことが少ないだろう。古くなれば、また新しくしようという意識が根底に流れている。

前に、最近の車はクラシックカーにならないのは何故だろうということを問うてきた方がいた。その方とフリートークする中で、車のほとんどが、プラスティックやFRPで造られて、へこまない、錆びない、軽いなどなど一見よいことずくめではあるが、手間暇かけて愛でながら状態を向上させるということがしにくくなってきているのではないかという結論に至った。手をかけなくてもそれなりに新車の状態が維持されるかわりに、手をかけても新車時以上にならないのだ。加えて、古い車は税金が高くなるといった税制で国も後押しし、車を永く大切に乗り黒光りしたヴィンテージカーよりも、燃費の良い新車が良いといった大きな流れになっているのだ。

住宅をとりまく状況も残念ながらそれとあまりかわらない。造り手側にもすまい手側にも、住宅を永く住み続けるために素材を吟味する。住宅に手をかける。そしてその手をかければかけるほどよくなっていくという意識を持つ方が多くないのが実情だ。造る方はメンテナンスフリーな新建材を勧めることで自社の首を絞めないようなすまいづくり造りをする。特に自然素材は、熟練の職人でないと扱うことが難しく、うかつに手を出すとメンテナンスで苦労する。反った、割れた、動いたとクレームになるのだ。すまい手も住宅は高い買い物なので、メンテナンスにお金や時間を取られるのはできるだけ避けたい。ましてや長期にわたりローンを組むので、支払中の大きな出費はできるだけ避けたい。両者の思惑が不思議と合致して、新建材がもてはやされる。結果、永く使えるようにと素材と造り方が工夫が凝らされた昔のすまいとは違って、一見メンテナンスフリーのように見える新建材でも寿命が来るとあっけない。素材自体に、修理して工夫して手をかけて永く持たせる意識が無いので取り替えるしかないのだ。取り替えられればよいが、他の要件も重なり、えいや!と建て替えられることになる。建て替えられる資力があればいいが、無ければ悲しい結末。

黒くすすけながらも手の込んだ継ぎ手を見ながら。そうはいうものの、住み手の事情、税制を含む社会事情、さまざまな要因が絡みあい『古民家さしあげます!』という状況になっている。しかし、一点見える光は継承者があらわれ本プロジェクトが動き出すと、その造作に苦労した江戸時代に生きた大工も、材料も喜んでいるのではないだろうかということ。それらの喜びをも継承できるのは、新建材には無い本物の素材がが持つチカラではないだろうか。そんなことを感じつつ、見学者の背中を見まもっていた。

 

 

 

 


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