■ 第1話。初見学トリビュートソングス編集後記。

私は1982年度東京理科大学理工学部建築学科の卒業生である。今からかれこれ、32年も前のこと。その当時、4年生の時に在籍した研究室の恩師・初見学教授が大学を退任されるにあたり、お金では買えないプレミアムな贈り物を在籍生一同と企画し作成した。これはその時の編集後記である。

2014年初め、OBのTさんからメールで初見先生の退任にあたり4月にパーティーを行うとの連絡があった。同期のとりまとめを私にせよとのメール。私は初見先生の2期生。最終章の2013年度は33期にまでになっていた。彼を通して約450名あまりの未熟者が世の中に向けて、人間発射台から有無も言うことすらできずに放り投げ出されていたのだ。約450名。葉山町の町議員選挙では勝てない数字だが、一人の人間を踏み台にして巣立っていった数としては、踏み台になった方もうれしい数字だろうと勝手に。(ごめんなさい先生)労苦をしばし合掌。

1982年当時。初見先生は34歳。私は21歳である。一廻り上の兄貴という感じだった。そもそも彼の研究室に入ろうとしたのは、何か新しい風を感じたからだった。ちょっとだけまじめにやると3年生が勝手に終わり4年生になる。一学年150人はいるマンモス私立大学のトコロテン君はそこで一つ道を選択しなければならない。建築学科は、概ね計画系(意匠系)、構造系、設備材料防災系にわかれていた。私はなんとなくデザイン志向だったので、まず計画系から選択してみたところ。新任された初見先生という懐にいつも辞表を持っているというあぶない人がいるという噂を根拠もないかすかな風の便りに聞いたのだ。よっしゃ!とすかさず彼の研究室の面接会場に行く。「君は建築家で誰が好き?」との問いに「私です」とうろたえもせず堂々と答え、めでたく研究室入室OKをもらった。実のところサーフィンと麻雀ばかりしていたので頼るのは自分しか居ないというバカ丸出しな私の詭弁にすぎなかったのは今でこそ言えるのだが。そんな動機不純でバカ丸出しの私が大学生活4年目で初見先生を横目に見つつ過ごしていくと。懐辞表の兄貴のかっこよさについつい惹かれていき、建築って面白そうだなと思い始めたところで。ポン!と。世の中にトコロテンとして発射されてしまったのだった。

そんな1982年からもうすでに2014年の32年後である。私も50歳を超え先生も60歳を超えている。いつも懐に辞表をひそませ、戦うそぶり満々の初見先生も任期満了だと。だまされたかなという思いと、お疲れ様という思い。混濁するも。いずれにせよ、いまだにかっこよいのはあい変わらずで、とてもうれしく思いトリビュート・ソングスを気持ちよく作成したのだ。

32年前の学生時代。飲みに行くと。懐辞表の兄貴はさっさとバカ学生を置いてきぼりにして、女の子の席に移動したり。2次会に行くときにはポケットに手を突っ込み足早に消えてしまうことから。当時沖縄で発見された飛べない鳥「ヤンバルクイナ」にとてもその仕草が似ていて、バカ学生の間で「ヤンバルクイナ」と彼を呼んでいたのだ。そんな懐かしい思い出からこのオープニングを発想したのである。あと、やっぱり映画はオープニングロゴからはじまらないとという気持ちがあり。20世紀FOX(スター・ウォーズなど)風のオープニングロゴをつくって1982年の在籍生と共有を狙ったのである。