■ 街に対して開くか閉じるか

私は25年ほど前、葉山町を終の棲家として選択し、北海道のふるさとを捨て、この町に流れ着きました。北海道のふるさとを捨てたと書きましたが、私が生まれたその町は北の果てにあり、かつて栄えた炭鉱町でした。もう40年以上前、私が小学4年生の時ににそのふるさとは解体され、コンクリートの残骸だけが残る原野となってしまいました。私がふるさとを捨てたのではなく、ふるさとに捨てられてしまったという方が正しいかもしれません。その後、高校3年生まで富良野市の隣町である深川市で育ちましたが、やはりふるさとと思えるのは原野になってしまった羽幌炭鉱なのかなと感じています。

私は今、葉山町で幸運にも子育てをすることができています。その彼女にとっては、葉山町がふるさとになるわけです。私が葉山で住宅設計をベースにしているため、少なからず街との関わりを考える機会があります。一軒のすまいを考えるとき、街に対して開くか閉じるか、街との関わりはそこからはじまります。子供を授かってから、この「街に対して開くか閉じるか」という視点に変化が生じたことは事実です。

子供は夫婦二人だけで育てることではなく、その地域に育てられることが肝要ではないかと考えるようになりました。子供に関する事件も多い昨今、ますます街の目が必要だと感じています。個のすまいが街に対して閉じるのではなく、ゆるく街にかかわり、少しだけ開いたすまいにすることが大切なのだと考えるようになりました。具体的には、家の中から少しだけ近所の気配を見ることができる、逆に街からも家の気配を感じることができる。また、近所のおじいちゃんおばあちゃんが安全に散歩できる。雨が降ってきたら、ちょっとだけ雨宿りができる軒先がある。強い日差しを避ける深い軒先がある。散歩途中でちょっとだけ休憩できるベンチがある。そんな家のあり方が、そこに住む方と街とのかかわりを深めていく小さなきっかけになるのではないかと。そのちょっとしたしつらえが、その家に住む子供とその子供が住む地域の目をはぐくむのではないかと考えています。

そんなゆるく地域に開いた一軒の家は、お互いに気を配ることができる心地よい街に変える力を持つのだと思います。私のふるさとである羽幌炭鉱の街には近所のおじちゃんおばちゃんのやさしい目がいつも光っていました。だから、「私のふるさと」といまだに感じるのかもしれません。

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KEN五島の写真家ブログより引用