■ 二度目の設計依頼

昨年から2回目の設計依頼がぼちぼち出てきました。もう設計事務所をはじめて22年目なので、そういう機会にも恵まれるようになったのでしょう。それは、1回目の我々との取り組みにある一定の理解と賛同があったものと感じています。しかし、2回目の相談に来た方々は、それぞれに事情をかかえて最終手段として我々のところに相談に来ているのが実情でした。

昨年夏に相談があった依頼者は、16年ほど前に住宅を設計したお客様でした。完成後10年もすぎると、やはりメンテナンスが必要になり、私も相談があるたびにアドバイスをしていましたが、結局外部塗装のメンテナンスを16年前工事した元請け工務店に建て主自ら発注しました。その工務店は当時の担当者がみな退職しており、もともとの仕様を知っているプロはいませんでした。
そのような中、建て主が思うような塗装の「色」と「仕様」が伝えきれず、かなり交渉したにもかかわらず、不満が残るメンテナンスになってしまったようでした。私が見ても何故そうしたのかと思うような残念な結果になっていました。建て主が施工のプロに対してきちんと思いを伝えることに難しさをひしひしと感じたため、10坪ほどの子供部屋をレストランにするリノベーションを我々に相談してきました。小さな改修工事とは言え、一度煮え湯を飲まされている建て主は、建て主の代理人になりきる我々プロの仕事に期待して依頼してきたのでした。この依頼は今年の春に無事に完成し喜んでいただけました。

次のケースは、家族の成長に伴い、もう少しQOL(生活の質)を高めるため、別の地域に終の棲家を造りたいとのことで今年の春に相談がありました。1件目のすまいはとても気にいっていて、本当はこのままずーっと住み続けたいんだと言ってくれました。1回目の時の設計打ち合わせも、かなり突っ込んで意思の疎通をしていましたので、それをベースにしたその先の話に終始し、やはり1回目の時とは別の次元で共同できています。そういえば、設計打ち合わせ中に、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ!と速報が入ってきたのを鮮明に覚えています。それは、2001年9月11日だったので、もう14年前になります。

三つ目は、先月初旬、突然会社の固定電話が鳴り、「覚えていますか?佐山さん。Yです」、すぐに「自分で造りたいって言われていたYさんですよね」と電話越しの声で思い出しました。とにかく相談したいと言うことでその夜事務所にいらっしゃいました。Yさんは、私の事務所兼すまいの完成時、オープンハウスを開催したときに見学にいらしたかたでした。オープンハウスは、1997年12月だったので、かれこれ19年ぶりの再会です。
19年前当時、ご自分で家族の住む家を造りたいのでアドバイスがほしいとの依頼で、基本計画を何度も練り直した記憶があります。しかし、そこから先は記憶が曖昧なのですが、計画中断してしまいました。話を聴くと、大工さんを一人雇いなんとか自分でもたたきながら造りあげ、今もそこに住んでいるとのことでした。
相談内容は、定年後の生き方を模索していて、半分自給自足しながら生きていける場所を日本全国探してきたけど、すぐ近所に山付きの土地が見つかったので、終の棲家を造ろうと画策していたとのことでした。今回相談に来る前すでにいくつかの工務店や大工さんに相談していて、満足のいく回答が得られていないとのことでした。自社で設計施工するハウスビルダーさんは、Yさんのリクエストに対して満足に応えることができず、大工さんは可能ではあるけれど、打ち合わせの内容を図面や仕様書にすることが無く、打ち合わせ内容がきちんと工事に反映されるか不安だとのこと。そのYさんが求めていることは、19年前に自分ですまいを造ったときに余っている材料が若干あり、それを活用しながら1000万ですまいを造りたいとのことでした。かなりハードルの高いリクエストではありますが、「自分でできるところは自分でやる」というYさんなので、前に進めることはできるだろうとお話ししました。私に電話するまで、19年前の中断のこともあり、かなり躊躇したらしいですが、相談して良かったと帰られました。
今後、コストをぎりぎりまで絞って、シンプルに生活を守る終の棲家を組み立てていくことになります。コストの絞り方は様々ですが、やはり工種と工数を減らして、普通では採用しないYさんならではの工事方法に知恵を絞っていくことになります。一般的ではありませんが、Yさんでしか成立しない計画と工事方法の模索。これはやはり建て主それぞれの特殊解を丁寧にさがしてゆく設計事務所にしかできないスタイルです。

それぞれ、巡り巡って、結局我々に再度相談していただきました。建て主の代理人になって、建て主固有の解決策を探るのは長く険しい道のりですが、とても楽しくやりがいのある時間でもあります。

 

20150903